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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)17085号 判決

原告

後藤福雄

原告

後藤英雄

右法定代理人親権者父

後藤福雄

右両名訴訟代理人弁護士

松石献治

被告

大矢伯

右訴訟代理人弁護士

高田利広

小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告後藤福雄に対し、金二二〇三万四一八三円及び内金一九三一万六二三五円に対する昭和五九年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告後藤英雄に対し、金二一二五万〇一八三円及び内金一八六一万六二三五円に対する昭和五九年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1(当事者)

被告は、産婦人科大矢医院(以下「大矢医院」という。)を開業し、同医院で亡後藤ミツ子(以下「ミツ子」という。)を診療した医師である。

原告後藤福雄はミツ子の夫、原告後藤英雄はミツ子の子である。

2(ミツ子の死亡までの経過)

(一)  ミツ子は、昭和五八年四月ころ(以下、昭和五八年中の年月日については年号を省略し、月日のみで記述する。)、月経の終了後も少量の性器出血(不正性器出血)が続いたため、同月二二日、大矢医院において受診し、その際、右性器出血を訴えたが、被告は、ミツ子の疾患を急性膀胱炎と診断し、「この病気は心配するような病気ではないから、安心して普段と変わらない生活をしなさい」と指導し、急性膀胱炎に対する薬剤を処方投与した。

ミツ子は、同月二八日及び五月一〇日にもそれぞれ大矢医院で被告の診療を受けたが、被告は、四月二八日には急性膀胱炎の薬剤の処方をし、五月一〇日には尿検査をしただけで、ミツ子が子宮癌に罹患している可能性についてはなんら疑わず、そのための検査もしなかった。

なお、被告の作成したミツ子のカルテ(以下「本件カルテ」という。)の主訴欄の記載上は、四月二二日に尿意頻数及び排尿痛、八月六日に月経後の出血の各訴えがあったようになっているが、本件カルテの右記載は明らかに不自然であり、後日改ざんされたものであることは明らかである。

(二)  その後、ミツ子は、六月中旬から再び不正性器出血が始まり、生活に支障をきたすような痛みはなっかたものの、右出血は七月ないし八月初めまで断続的に続き、白色水様のおりものも見られた。

なお、ミツ子は、七月中旬ころ、被告に対し、上高地への一泊二日のバス旅行に参加することの可否を相談したところ、被告は、ミツ子を診断することなく、旅行に参加することを勧めるなど、ミツ子の疾患を軽視していた。

(三)  ミツ子は、八月初め、体のだるさを感じるようになったため、同月三日に梅屋敷産婦科医院で斉藤実医師の診療を受けたところ、同医師は、ミツ子の疾患は子宮癌で、臨床進行期別分類第Ⅱ期(以下単に「第Ⅱ期」などという。)であると診断し、ミツ子に対し、癌の疑いがあることを告げたうえ、大学病院への紹介状を交付し、大学病院で診療を受けるように勧めた。

しかし、ミツ子は、右の診断を信じられず、同月六日、再び大矢医院を訪れ、被告に対し、斉藤実医師は子宮癌であると診断したことを告げて、被告の診断を受けたが、被告は、ミツ子に対し、膣部の糜爛だけであるから心配は不要であると説明した。

ミツ子は、その後も同月八日、一〇日、一二日、一六日及び一八日に大矢医院に通院し、被告の診療を受けたが、被告は、膣内洗浄をするのみで、ようやく同月一八日に、東邦大学医学部付属大森病院(以下「大森病院」という。)に行くように指示した。

(四)  ミツ子は、八月一九日に大森病院で百瀬和夫医師の診療を受けたが、同医師は、ミツ子の疾患を、第Ⅲ期の子宮頸癌であると診断した。その後、ミツ子は、同月二四日に大森病院に入院し、放射線照射等の治療を受け、一〇月一日に一旦退院し、通院による治療を受けた後、昭和五九年七月二六日に再び大森病院に入院し、同年一〇月二一日に子宮癌の悪化により死亡した。

3(被告の過失)

(一)  ミツ子は、四月二二日に被告の診療を受けた際、すでに第Ⅱ期の子宮癌であったと考えられ、この時点で適切な診察・検査を行えば、右癌を容易に発見することができたはずである。そして、不正性器出血は、子宮癌に顕著に現れる初発症状であり、また、子宮癌は、統計的に見て中高年の女性に多発しているところ、ミツ子は、当時三八歳であり、また不正性器出血を訴えて大矢医院を受診しているのであるから、被告は、ミツ子の疾患について子宮癌を疑い、内診、膣鏡・コルポ鏡による診察、細胞診、生検等の検査をすべき注意義務があるのにこれを怠り、尿検査をしただけで急性膀胱炎と診断し、右膀胱炎のための治療を施しただけで、子宮癌の検査を行わなかった過失がある。

仮に、ミツ子が受診時に訴えた症状が、急性膀胱炎を疑わせる尿意頻回、排尿痛だけで、不正性器出血の訴えがなかったとしても、ミツ子の年齢からすれば、被告は、なお、子宮癌を疑い、検査すべき注意義務があったというべきである。

(二)  ミツ子が、昭和五八年七月中旬ころ、被告に対し、上高地へのバス旅行の可否を問い合わせた際、被告としては、ミツ子の状況を詳細に問診し、検査を行うべき注意義務があったところ、被告は、これを怠り、ミツ子を診察することもなく、安易に旅行への参加を勧めた過失がある。

4(因果関係)

ミツ子の子宮癌は、四月二二日ころは第Ⅱ期であったと考えられるところ、第Ⅱ期の子宮癌に対しては、手術又は手術と放射線療法を組み合わせた治療を行うことによって確実に救命することができたはずである。したがって、被告の右過失は、後記のミツ子の死亡による損害のすべてと相当因果関係がある。

5(損害)

(一)  ミツ子の逸失利益

ミツ子は、死亡時三九歳の主婦であったから、その就労可能年数は二八年であり、同年齢の女子労働者の平均年間給与額は二〇三万九七〇〇円であった。そこで、生活費分としてその四〇パーセントを控除し、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、右就労可能年数の受べかりし利益を計算すると(ライプニッツ係数14.898を乗じて計算)、一八二三万二四七〇円となる。

(二)  ミツ子の慰謝料

ミツ子の死亡時における年齢、長男の原告後藤英雄はいまだ八歳であったことなどを勘案すると、ミツ子の精神的苦痛に対する慰謝料は一三〇〇万円を下らない。

(三)  原告らの慰謝料

原告後藤福雄、同後藤英雄の精神的苦痛に対する慰謝料はそれぞれ三〇〇万円を下らない。

(四)  葬儀費

原告後藤福雄が負担したミツ子の葬儀費のうち、七〇万円は被告の過失行為と相当因果関係がある。

(五)  弁護士費用

原告らは、本件訴訟を松石献治弁護士に委任し、着手金として各四〇万円、成功報酬として各認容額の一二パーセント相当額をそれぞれ支払うことを約した。

(六)  原告らは、ミツ子の逸失利益及び慰謝料に関する損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続した。

6 よって、原告後藤福雄は被告に対し、不法行為に基づき金二二〇三万四一八三円及び弁護士費用を除く内金一九三一万六二三五円に対するミツ子の死亡の日の翌日である昭和五九年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告後藤英雄は被告に対し、不法行為に基づき金二一二五万〇一八三円及び弁護士費用を除く内金一八六一万六二三五円に対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1のうち、原告らがそれぞれミツ子の夫ないし子であることは不知、その余は認める。

2  同2(一)のうち、ミツ子が原告ら主張の日に大矢医院で被告の診療を受けたこと、被告は、ミツ子の疾患を急性膀胱炎と診断し、尿検査、膀胱炎の薬剤の投与をしたが、子宮癌の検査をしなかったこと、原告ら主張の本件カルテの記載は認め、その余は否認する。

同(二)のうち、ミツ子の六月から八月初めまでの症状は不知、ミツ子が被告にバス旅行の相談をし、被告が旅行を勧めたことは否認する。

同(三)のうち、ミツ子が梅屋敷産婦人科病院を受診したことは不知、ミツ子が八月六日に、斉藤実医師から癌の疑いがあると告げられたとのことで、大矢医院に来院し受診したこと、その後ミツ子が、原告ら主張の日にそれぞれ大矢医院に来院して被告の診療を受けたこと、八月一八日に被告がミツ子に対し、大森病院に行くよう指示したことは認め、その余は否認する。

同(四)のうち、ミツ子が死亡したことは認め、その余は不知。

3  同3(一)のうち、不正性器出血が子宮癌の初発症状であること、ミツ子が当時三八歳であったこと、被告が四月の初診時に子宮癌の検査をしなかったことは認め、その余は否認ないし争う。

同(二)は否認ないし争う。

4  同4は否認ないし争う。

5  同5(一)ないし(四)は争う。

同(五)のうち、原告らが松石献治弁護士に本件訴訟を委任したことは認め、着手金・報酬金の定めは不知、主張は争う。

同(六)は争う。

6  被告のミツ子に対する診療経過は以下のとおりであり、検査、診断、治療などすべて適切である。

(一) 四月二二日初診

ミツ子は尿意頻数及び排尿通を訴え、来院したが、不正性器出血その他の婦人科的疾患の訴えは全くなかった。そこで、被告は、泌尿器疾患の検査のため採尿をすることにし、雑菌の混入を防ぐためまず清拭綿で外陰部、両大陰唇内側、小陰唇外内側、包皮、外尿道口、膣口、後交連から肛門を清拭したうえで、カテーテル採尿をしたところ、尿の混濁を認めたため、急性膀胱炎の診断をしミツ子に対し、右疾患の病理、病状及び本人の治療に臨む態度を説明し、抗生剤、消炎剤を与え、服薬終了後に再度通院するよう指示した。なお、右清拭の際、肛門付近に少量の糞便が付着していたが、血性その他の分泌物は全く認めなかった。

被告は、採取した尿の検査(尿沈渣、尿細菌培養)を京浜予防研究所(以下「京浜予研」という。)に依頼したが、右検査の結果、起炎菌が大腸菌であることが確認された。

(二) 四月二八日再診

ミツ子の自覚症状は軽快した。被告は、排便後の清拭方法を説明教示し、さらにシックマイロンを投与し、数日後に再び尿検査のため通院するよう指示した。

(三) 五月一〇日再診

ミツ子の自覚症状は全く消失した。被告は、初診時と同様の方法でカテーテル採尿をし、京浜予研に検査を依頼し、ミツ子に対し再度来院するよう指示したが、この日も血性分泌物等は付着していなかった。

右検査結果が同月一二日に判明し、大腸菌の消失が確認されたため、被告は、急性膀胱炎は治癒したと判定した。なお、ミツ子はその後来院せず、また連絡もなかった。

(四) 八月六日来院

ミツ子は、「梅屋敷産婦人科で子宮癌の疑いがあるから大学病院に行くようにいわれたが、こちらでもう一度診てもらいたい」とのことで来院し、被告は、すぐに大学病院に行ったほうがよいと勧めたが、ミツ子が被告の診察を強く望むため、診察することにした。

ミツ子は自覚症状として不正性器出血を訴え、被告は、内診により、子宮膣部が硬く糜爛状、乳嘴状を呈し、右上方一部から少量の出血があり、血性漿液性分泌物があることなどを確認した。そして、軟膏を塗布したタンポンを膣部に挿入し、止血剤を投与するとともに、子宮膣部癌の疑いが濃厚なため、糜爛面の一部を試験切除し、京浜予研に組織診を依頼した。

被告は、ミツ子に対し、子宮膣部糜爛という病気であるが、悪化性するおそれもあるから検査をすると説明した。

(五) 八月八日再診

被告は、右同様にタンポン挿入の処置をするとともに、子宮膣部、頸管内の細胞診を施行した。

(六) その後、被告は、八月一〇日、一二日、一六日、一八日にそれぞれミツ子を診察し、出血が減少、消失したことを確認し、また右同様にタンポン挿入の処置をした。

この間、同月一五日、前記組織診の結果が判明し、子宮頸癌であると判定されたため、被告は、癌の告知が患者に与えるショックに配慮し、同月一六日、ミツ子に対し、現在は子宮膣部糜爛であり悪い状態ではないが、悪性になるおそれがあるから大学病院で精密検査を受けるよう説得し、さらに、同月一八日、ミツ子に大森病院産婦人科への紹介状を交付し、原告後藤福雄にもミツ子を大森病院に通院させるよう指示した。

第三  証拠〈省略〉

理由

一ミツ子は四月二二日に大矢医院において被告の診察を受け、急性膀胱炎と診断され、膀胱炎の薬剤を処方投与されたこと、ミツ子は、四月二八日、五月一〇日にも被告の診療を受けたが(以上の診察を「四月・五月の診察」という。)、被告は、この間、急性膀胱炎の薬剤の処方投与、尿検査をしただけで、子宮癌を疑うことなく、そのための検査もしなかったことはいずれも当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、ミツ子は、その後八月三日に梅屋敷産婦人科医院において斉藤実医師の診察を受け、第Ⅱ期の子宮頸癌であると診断されたこと、ミツ子は同月六日から一八日まで被告の診察を受け、その際、被告はミツ子の症状を子宮頸癌であると診断したが、ミツ子に対しては膣部の糜爛であると告げたこと、その後、ミツ子は、被告の紹介により大森病院において百瀬和夫医師の診察を受け、第Ⅲ期の子宮頸癌と診断され、同病院で放射線治療を受けたが、昭和五九年一〇月二一日に右癌の悪化により死亡したことが認められる。

二原告らは、被告が四月二二日にミツ子を診察した際、ミツ子が不正性器出血を訴えたにもかかわらず子宮癌の検査をしなかったことに過失があると主張するので(請求原因3(一))、まず、この点について検討するに、〈証拠〉によると、子宮頸癌は、既婚女性に多く、婦人科癌では最も発症率が高いものとされ、早期治療による治癒率が高いため、早期発見、早期治療の必要性が産婦人科医師の常識とされていること、子宮頸癌においては、不正性器出血、特に接触出血が唯一の特異症状とされており、かつ最初に現れる初発症状であるとされていることが認められ、右事実にかんがみると、産婦人科医師が既婚女性から不正性器出血の訴えを受けたときは、直ちに子宮頸癌を疑い、その検査をなすべき注意義務があるというべきである。

そこで、ミツ子が四月・五月の診察時に、被告に対し、不正性器出血を訴え、またはその症状があったか否かについて検討する。

1  〈証拠〉によれば、本件カルテの主訴欄には、四月二二日付けで「尿意頻数・排尿痛」の記載があるが、出血に関する記載はなく、八月六日付けで「月経後の出血」の記載がなされていることが認められ、右記載を見る限り、初診時(四月二二日)には不正性器出血の訴えはなっかたものと認められるが、原告らは、被告が本件カルテを改ざんしたと主張し、〈証拠〉によると、本件カルテに記載されている「尿意頻数・排尿痛」及びその日付(四月二二日)の各記載の位置が主訴欄の上部に片寄り過ぎ、その文字が一部欄外にはみ出すように記載されているのに対し、「月経後の出血」の記載は、同欄の所定の位置に比較的大きな文字で記載されていることが認められ、右のような記載の状況からすると、右主訴欄には、まず「月経後の出血」との主訴が記載され、その後に「尿意頻数・排尿痛」との記載が追加されたのではないかとの疑いが生じ、また、主訴欄の下には最終月経に関する記載があるが、その日付が白色修正液で抹消されていることが認められ、これによると、本件カルテに記載されている日付は改ざんされたものではないかとの疑いが生じる。さらに、〈証拠〉によると、被告は、四月二二日の初診時に、ミツ子の自覚症状などを録取した予診票を作成したのに、これを証拠として提出せず、また被告は、細胞診検査依頼書(乙第一号証の六)に記載されていた検体採取日の日付「昭和五八年八月九日」を起訴前の証拠保全として行われた検証の後に「昭和五八年八月八日」と訂正したことが認められ、これらの事実からすると、被告には自己に不利な証拠を隠滅する性向があるのではないかとの疑いも生じる。

しかしながら、〈証拠〉によると、被告は、四月二二日、ミツ子から尿意頻数及び排尿痛の訴えを聞き、これを本件カルテに記載するに当たり、ミツ子の話が要領を得ないものであったため、後に他の訴えがあるかもしれないと考え、主訴欄の下部に追加記載のための余白を残し、主訴欄上部に右主訴の記載をしたこと、ミツ子は、同日はそれ以外の訴えをせず、また、最終月経も不明であったため、被告は、主訴欄の余白部分及びその下欄の最終月経に関する記載欄を空白のままにしておいたこと、被告は、八月六日の診察時に、ミツ子から最終月経日が七月二四日であったことを確認し、右日付を最終月経欄に記載するとともに、その左側の日付欄に右確認の日付が八月六日である旨を記載したこと(右日付はその後白色修正液により抹消されているが、右抹消後も「6/Ⅷ」という文字の痕跡がかすかに残っている。)、その後、被告は、ミツ子から月経後の出血の訴えを聞いたので、前記主訴欄の空白部分に右訴えを記載し、その左側に右訴えのあった日付として八月六日と記載したこと、そして、被告は、最終月経欄の左側の日付欄に記載した前記日付を白色修正液で抹消し、さらに、主訴欄上部に記載した尿意頻数及び排尿痛の主訴がいつなされたかを明らかにするために、右記載の左側に四月二二日の日付を記載したことが認められ、右事実によれば、本件カルテに対する前記のような疑義もそれなりに合理的な説明が可能であるといえる。

また、〈証拠〉によると、被告は、予診票には患者のプライベートな事項が記載されているため、月末にはすべてこれを焼却することにしており、そのためミツ子の予診票を証拠として提出することができないこと、また、前記細胞診検査依頼書に記載された検体採取日の訂正は明らかな誤記を訂正したものであることが認められ、いずれも証拠隠滅の意図はないものと考えられる。

以上によると、本件カルテの主訴欄が改ざんされているとの原告らの主張は、これを認めることができず、他に右改ざんの事実を認めるに足りる証拠はない。

2  そこで、四月・五月の診察時における不正性器出血の訴えないし症状の有無についてさらに検討するに、〈証拠〉中には、ミツ子には、四月から断続的な出血があり、その診察のために大矢医院に行ったとの供述部分があるが、右供述部分は、特に出血の時期についてあいまいであり、しかも、前記のとおり、本件カルテには、四月二二日の主訴として尿意頻数及び排尿痛だけしか記載されていないことが認められるほか、〈証拠〉によると、大森病院の八月一九日付けのカルテには、現症経過として、六月一二日から七月末まで断続的に不正性器出血が続いたとの記載があるが、それ以前に不正性器出血があった旨の記載がないこと、被告は、八月の診察時には投薬としてはもっぱら止血剤を投与しているのに対し、四月・五月の診察時には、抗生剤、消炎剤及び抗大腸菌性薬剤を投与しただけで、止血剤の投与など出血に対する対症療法的な処置をしていないことが認められ、また、鑑定人百瀬和夫の鑑定の結果によると、同鑑定人が八月一九日にミツ子を診察した際の症状から推測して、四月ないし五月ころには出血などの何らかの症状があってもおかしくないとの趣旨の鑑定部分もあるが、右鑑定の結果中には、個体差もあるから必ずしも右時点で出血があったとはいえないとの鑑定部分もあり、さらに、〈証拠〉によると、不正性器出血は、子宮頸癌の初発症状であるが、必ずしも早期症状ではなく、相当進行した後に初めて出血することもしばしばあることが認められ、以上を総合すると、原告後藤福雄の前記供述部分を直ちに採用することはできず、他に四月・五月の診察時にミツ子に不正性器出血があったとか、あるいは同女から右訴えがあったと認めるに足りる証拠はない。

三次に、原告らは、ミツ子に不正性器出血の訴え又はその症状がなかったとしても、なお被告には、子宮癌の検査をなすべき注意義務があったと主張するので、この点につき、検討する。

ミツ子は、四月・五月の診察当時三八歳であったことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によると、子宮頸癌の発症年齢は、四六歳ないし五〇歳が全体の約二〇パーセントを占め最も多いが、三〇歳台も全体の約一五パーセントを占めること、子宮頸癌は、発生率・有病率が一〇〇〇人当たりそれぞれ約1.6人、約2.9人であり、婦人科癌の八〇ないし九〇パーセントを占め、癌としては比較的発生頻度が高いこと、ところが、早期には必ずしも自覚症状を伴わないため、早期発見のための検診の必要性が広く強調されていることを認めることができ、これによれば、ミツ子は、子宮頸癌の好発年齢にあり、その検診を受けることが望ましかったことが認められる。

しかし、右のような検診が望ましいからといって、当然にそのことが無条件で診療上の注意義務を構成するとはいえず、右事実だけから、産婦人科の一般開業医に対し、常に子宮頸癌の検査をなすべき注意義務があると認めることはできない。

もっとも、不正性器出血がない場合であっても子宮頸癌を疑わせる何らかの具体的な兆候があった場合には、右注意義務を認める余地があると解されるところ、後記のとおり、被告は、四月二二日にミツ子を診察し、その際急性膀胱炎と診断したものであり、〈証拠〉によると、子宮頸癌が膀胱壁に浸潤すると膀胱炎を誘発する可能性があることが認められ、右事実にかんがみると、被告がミツ子を急性膀胱炎であると診断したときに、これが子宮頸癌によって誘発されたものであることを疑い、その検査をすべきではなかったかとの疑問が生じる。

そこで、以下この点につき検討する。

〈証拠〉によると、被告は、四月二二日の初診時に、ミツ子からカテーテル採尿をしたところ、尿の混濁を認めたため、ミツ子の疾患を急性膀胱炎であると診断し、抗生剤及び消炎剤を投与し、右採取尿の検査を京浜予研に依頼したところ、尿中の白血球、赤血球及び扁平上皮の増加並びに大腸菌が確認されたため、被告は、急性膀胱炎の診断を確信するとともに、その起炎菌は大腸菌であると診断したこと、被告は、同月二八日の診察時に、右検査結果を踏まえて、抗大腸菌性薬剤であるシックマイロンを投与し、五月一〇日の診察時に、再びカテーテル採尿をしたところ、採取尿の混濁は消失しており、また、その検査の結果、尿中の白血球、赤血球及び扁平上皮の増加傾向並びに大腸菌はほぼ消失したことが確認されたこと、その後、ミツ子は、八月まで大矢医院を訪れていないことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、〈証拠〉によると、膀胱炎の典型的な症状は排尿痛、尿意頻数及び尿混濁であり、この三主徴が認められれば、臨床的には膀胱炎の診断が可能であるとされていること(ただし、確診のためには採尿のうえ尿沈渣検査等による尿中の細菌及び白血球の増加等の確認をすることが必要である。)、膀胱炎に対する治療法は、急性単純性膀胱炎(基礎疾患によらない細菌感染に起因するもの)については、起炎菌に即応した抗菌薬の投与であり、通常は薬剤によく反応し、それだけで足りるが、慢性複雑性膀胱炎(基礎疾患に誘発された細菌性又は非細菌性の膀胱炎)については、細菌性のものでも有効な薬剤によって尿中の細菌などがすぐ消失することは少なく、通常基礎疾患を治療しない限り根治することができないため、化学療法よりも基礎疾患の発見及び治療が優先することが認められ、右事実に照らして、ミツ子の前記膀胱炎の症状、経過を検討すると、四月二二日の初診時において、ミツ子には膀胱炎の三主徴が認められたほか、尿検査の結果、大腸菌及び膿尿が確認され、しかも、その後、右症状は抗菌薬に極めてよく反応し、二〇日足らずで尿中の大腸菌及び膿尿が消失したことが認められ、このことにかんがみると、遅くとも抗菌剤によって大腸菌の消失が確認された時点において、ミツ子の膀胱炎を急性単純性膀胱炎であると確診することが妥当性を欠いていたとはいえず(鑑定人百瀬和夫の鑑定の結果も同旨)、したがって、被告がそれ以上に基礎疾患(子宮頸癌)を疑わず、検査もしなかったことに過失があったということはできない。

なお、〈証拠〉によると、膀胱炎の起炎菌の決定のためには、尿中の細菌数及び白血球数の定量的な把握等が必要であることが認められるが、〈証拠〉によれば、膀胱炎の臨床的な診断という点では、必ずしもそこまでは要求されないことが認められるから、結局前記認定を覆すことはできない。そして、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

以上により、被告が四月二二日の初診時にミツ子に対して子宮癌の検査をすべき注意義務を認めることはできず、被告が右検査をしなかったことについて過失は認められない。

四次に、原告らは、ミツ子が七月中旬ころ被告に対してバス旅行の可否を問い合わせた際、被告は、ミツ子の状況を問診し、検査を行うべき注意義務があったのに、これを怠ったと主張するが(請求原因3(二))、ミツ子が七月中旬ころ被告に対してバス旅行の可否を問い合わせたことを認めるに足りる証拠はない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠もない。

五よって、原告らの請求はその余の点を判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙橋正 裁判官秋武憲一 裁判官宮坂昌利)

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